陽光が柔らかさを増し、お出掛けにぴったりな春がやってきました。
「どこかへ行きたいな」と考えているご家庭は、華やかな春祭りに足を運んでみてはいかがでしょうか。
この記事では、東海地方で行われる伝統的な春祭りを2つピックアップしました。
世界の春祭りもご紹介しているので、併せて楽しんでくださいね。
陽光が柔らかさを増し、お出掛けにぴったりな春がやってきました。
「どこかへ行きたいな」と考えているご家庭は、華やかな春祭りに足を運んでみてはいかがでしょうか。
この記事では、東海地方で行われる伝統的な春祭りを2つピックアップしました。
世界の春祭りもご紹介しているので、併せて楽しんでくださいね。
東海地方は、伝統的に商業や工業が発達してきた地域です。
天領(幕府の直轄地)として経済力を維持できた街もあり、古くから続く豪華なお祭りがさまざまあります。
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている東海地方の春祭りを見ていきましょう。
高山祭(たかやままつり)は、京都の祇園祭・埼玉の秩父夜祭と並び「三大美祭」の一つに数えられるお祭りです。
毎年春と秋に行われ、春祭りは「山王祭」として広く知られています。
春の高山祭について詳しくご紹介します。
高山祭は、日枝(ひえ)神社と櫻山(さくらやま)八幡宮の例祭の総称です。
春の高山祭は「山王祭」とよばれ、日枝神社のお祭りとして行われます。
祭りの起源は16世紀後半から17世紀といわれており、祭礼日は毎年4月14日・15日の2日間です。
高山祭が開催される高山市は、飛騨の領国大名・金森氏が高山城を築いたエリア。
城下町として栄えた歴史があり、開催されるお祭りも華やかで豪華なものでした。
地域の人々は現在も、高山祭を「春を告げる祭り」として心待ちにしています。
なお日枝神社は、高山城下町南半分の氏神様です。
春の高山祭は街の中心・安川通り以南で行われる習わしとなっています。
高山祭の見どころは、豪華さに圧倒されること間違いなしの12基の「祭屋台」です。
祭屋台とは、お祭りで使われる「山車(だし)」のこと。
華やかな意匠が施してあり、当時の城下町の隆盛を偲ばせる華やかさがあります。
キラキラと輝く姿は壮麗で、「動く陽明門(ようめいもん:日光東照宮を代表する門。精巧な彫刻で有名)」とよばれるのも納得です。
祭屋台の素晴らしい装飾を実現できたのは、飛騨高山地域に優れた木工技術が受け継がれてきたため。
飛騨地方の木工技術者集団は「飛騨匠(ひだたくみ)」とよばれ、奈良時代には東大寺や薬師寺の建立にも関わりました。
12基の祭屋台は西陣織があしらわれたもの・金箔づくしのものなどと装飾が異なり、それぞれ美術品のような美しさです。
春の高山祭は12基全てが登場するので、ひときわ華やかさを放っています。
からくり奉納とは、からくり人形がついた祭屋台で行われる奉納儀式のこと。
「綱方(つなかた)」とよばれる技術者が綱を操り、からくり人形を自由自在に操ります。
綱方の見事な綱さばきとからくり人形の繊細な動きは、高山祭の見どころの一つです。
からくり人形の早変わりや華麗な演舞をぜひチェックしてくださいね。
長浜曳山祭(ながはまひきやままつり)は、滋賀県長浜市・長濱八幡宮で行われる春のお祭りです。
日本三大山車祭に数えられ、起源は16世紀ごろにさかのぼるといわれています。
高山祭と同じくユネスコ無形文化遺産にも登録されている、長浜曳山祭を見ていきましょう。
長浜曳山祭は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉と関係が深いお祭りです。
1574年ごろ、「羽柴」と名乗っていた秀吉は長浜地域を領地とし、長浜城を建設しました。
入城の際にはたくさんの武士を引き連れ、華やかな武者行列を披露したといいます。
源義家の武者行列を模したといわれる行列は、現在の「太刀(たち)渡り」という祭礼の元になりました。
また秀吉は、男の子誕生のお祝いとして、町民たちに砂金を大盤振る舞いしたのだとか。
感激した町民たちが砂金を元に曳山を作って引き回したことが、長浜曳山祭の由来だといわれています。
これらはあくまでも伝承に過ぎませんが、秀吉が長濱八幡宮を再建したり、長浜の町を免税地に指定して経済を発展させたりしたのは事実です。
秀吉と町との関わりにより、長浜曳山祭は発展していきました。
※画像提供:長浜観光協会
長浜曳山祭の見どころは、5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられる子ども歌舞伎(曳山狂言)です。
起源は定かではありませんが、1700年代ごろにはすでに行われていたと考えられています。
子ども歌舞伎が行われるのは、長浜曳山祭に登場する曳山(山車)の上。
13基ある曳山のうち、12基は舞台つきです。
祭りの期間中、子どもたちは四畳半ほどのスペースで決められた歌舞伎の演目を披露します。
歌舞伎の上演時間は、約40分。
子どもたちは振付師の指導の下、3月下旬の春休みから本番までみっちりお稽古をするそうですよ!
長浜曳山祭では13基ある曳山のうち、舞台のないもの1基・舞台つき4基の合計5基が登場する習わしです。
お祭り当日は、町の各所に設置された舞台つき4基の曳山で、それぞれ違った演目の子ども歌舞伎を楽しめます。
春を祝うお祭りは世界にもさまざまありますが、ここではタイとドイツの春祭りをピックアップ。
タイの水かけ祭こと「ソンクラーン」と、ドイツの魔女のお祭り「ヴァルプルギスの夜」をご紹介します。
ソンクラーンは、タイの旧正月を祝うお祭りです。
ソンクラーンとは、サンスクリット語で「移る」という意味。タイでは、太陽の軌道が白羊宮(おひつじ座)に移るタイミングを新年の始まりとするのだそうです。
毎年4月13日から15日までが、タイ政府の定める祝日となります。
ソンクラーンが「水かけ祭」といわれるのは、人々が互いに水をかけあってお祝いをするためです。
ソンクラーンの期間中、街は水をかけあう大勢の人で埋め尽くされ、大変な盛り上がりとなります。
タイでは、水をかける行為は「敬意を払う」ことと考えられてきました。
仏像や年長者に水をかけてお清めしていた風習が、「水かけ祭」へと発展したのだそうです。
またタイの3~5月は「暑期」とよばれる最も暑い時期となります。
水をかけあうことが、暑気払いにもつながっているんですね。
ソンクラーンに参加する人は、ペットボトルや水鉄砲を持参でやる気満々。
観光客も気軽に参加できるため、街はローカルや観光客でごった返します。
水遊び感覚で気軽に参加したくなりますが、守るべきルールもあるんですよ!
水をかけられることは、「敬意を払われている」ということ。
見知らぬ人から水を浴びせられても、怒ってはいけない決まりです。
ソンクラーンはタイ政府によって「無礼講」とされており、人々は大喜びでじゃんじゃん水をかけ合います。
ただし水をかけるマナーとして、キンキンに冷えた水は控えるべきとされています。
気温が高いとはいっても、冷水は体によくありませんよね。
水かけに参加する人は、ぬるめの水を使っています。
このほか絶対にNGなのは、僧侶に水をかけること!
徳を積んだ僧侶に水をかけるのは、大変失礼に当たります。
無礼講とはいえ、人々はオレンジの衣を身に着けた僧侶には水をかけません。
同様に、警察官や軍人・商売をしている人に水をかけるのもマナー違反です。
画像:Andreas Fink (andreas-fink@gmx.de) at de.wikipedia
ヴァルプルギスの夜(独: Walpurgisnacht)とは、4月30日の夜から5月1日にかけて行われるお祭りです。
ヴァルプルギスの由来については「キリスト教の聖人である聖ワルプルガ(Saint Walpurga)が起源」「春の女神の名前に由来する」などの説がありますが、詳しいことは分かっていません。
キリスト教が広まる以前のヨーロッパでは、5月祭の前夜にあたる4月30日の夜には、魔女の集会が開かれるという迷信がありました。人々は夜にかがり火を焚き、魔女を追い払ったといわれています。
現在でもヴァルプルギスの夜を行う地域はさまざまありますが、特に有名なのがドイツ。
ドイツでは、ハルツ山地にあるブロッケン山に魔女たちが集うといわれていました。
ハルツ地方の街では、今なおヴァルプルギスの夜に由来する中世風のお祭りが開催されています。
ブロッケン山の麓にある「シールケ」「ヴェルニゲローデ」といった街は、ヴァルプルギスのお祭りで有名です。
4月30日は街に魔女の仮装をした人々が集まり、大変な盛り上がり。
広場ではマーケットやパレードが開催されるほか、ショーや大道芸も見られます。
クライマックスにはかがり火が焚かれ、魔女たちが歌い踊るのだそうですよ!