3月3日はひな祭りということは周知のとおりですが、「金魚の日」でもあるということはご存じでしょうか?
江戸時代のひな祭りでは、ひな人形のそばに金魚の水槽を置く習慣があったといわれています。これにちなみ、日本観賞魚振興事業協同組合は3月3日を金魚の日としたのです。
そこでこの記事では、ひな祭りと同じ日を記念日とする「金魚」について、特長や歴史、種類などを詳しくまとめました。
金魚のきれいな色や形を思い返しながら、読んでみてくださいね!
参考:金魚の歴史|大和郡山市
3月3日はひな祭りということは周知のとおりですが、「金魚の日」でもあるということはご存じでしょうか?
江戸時代のひな祭りでは、ひな人形のそばに金魚の水槽を置く習慣があったといわれています。これにちなみ、日本観賞魚振興事業協同組合は3月3日を金魚の日としたのです。
そこでこの記事では、ひな祭りと同じ日を記念日とする「金魚」について、特長や歴史、種類などを詳しくまとめました。
金魚のきれいな色や形を思い返しながら、読んでみてくださいね!
参考:金魚の歴史|大和郡山市
まずは金魚の特徴や種類について見ていきましょう。
金魚は、約2000年前の中国で、野生のフナから生まれました。
池や川にいるフナの中に、まれに赤やオレンジ色の体を持つ個体が突然変異で現れることがあります。
自然界では、目立つ色は天敵に見つかりやすく、生き残るのは困難です。
しかし当時の人は色のついたフナを分けて飼育し、大切にしました。
赤い個体同士を掛け合わせたり変わった形の個体をかけ合わせたりして、鮮やかで華やかな金魚が生まれたのです。
華やかな金魚を飼育する習慣は人々の間に広く浸透し、長い年月をかけて現在のような観賞魚として発展しました。
金魚は世界中で品種改良が重ねられ、現在では100種類以上、日本国内で公式に認められているものだけで30種類以上の品種が存在します。
先述のとおり金魚は人間の手によって生み出された魚であり、野生化したものは存在しても、「野生で生まれた金魚」は存在しません。
金魚のさまざまな体の形、ひれの長さ、目の形、色の組み合わせなどは、人間が計算して作り上げたもの。
品種の維持には人の手による管理が必要で、自然に放すと数代後には原種のフナに戻ってしまうといわれています。
金魚には、私たち人間や多くの動物が持っている「胃」がありません。
生物学的には「無胃魚(むいぎょ)」と呼ばれ、食道が直接腸につながっています。
口から食べたえさは、食道を通ってすぐに腸に送られ、そこで消化・吸収されるのです。
胃がないということは、一度にたくさんの食べ物を溜めておくことができない・満腹感を覚えにくいということです。
金魚は、えさを与えれば与えただけ食べてしまいますが、あまりに大量のえさを食べると消化不良を起こしてしまいます。
金魚にえさをやるときは「数回に分けて少しずつ」が鉄則です。
金魚は胃を持たない代わりに、長い腸を持ちます。
食べたものは食道からすぐに腸へと送り込まれ、長い時間をかけて消化・吸収される仕組みです。
消化・吸収が終わった食べ物のカスは、細く長いフンとして排出されます。
少しずつ絶え間なく食べ続ける金魚の腸内は、つねに食べ物のカスでいっぱいです。
フンは途切れることなく長く排出されるため、金魚が泳ぐときにも長く後ろに連なっています。
金魚のこのような様子から、誰かにべったり付き従う人を揶揄する言葉として「あの人は金魚のフンだ」などという表現が生まれました。
金魚は外見的にわかる「耳」を持ちません。
一見、音への反応は鈍そうですが、実は非常に優れた聴覚を持っています。
金魚の耳となるのは、頭の中にある「内耳」です。
水の中を伝わってきた音(水の振動)は、まず魚の体の中にある「鰾(うきぶくろ)」を震わせます。
うきぶくろは、人間でいうところの鼓膜のような役割を果たし、キャッチした振動を内耳へと伝達します。
内耳が振動をキャッチするとその中にある耳石が揺れて神経を刺激し、「音」として脳に伝わるのです。
ただし金魚には音の周波数を細かく分析できる「蝸牛管(かぎゅうかん)」という器官がありません。
音は聞こえても、人間のように音色を判別することはできないといわれています。
金魚の鮮やかな赤色は、体内の色素細胞によってつくられています。
光の少ない環境で長期間飼育すると、色素が減少し、赤い体色が薄れて白っぽく変化することがあります。
これは、金魚の体の色素細胞は、光の刺激を受けることで色素を作り出すためです。
特に赤やオレンジの色を作る色素は、太陽光や照明の光を受けることで活性化するといわれています。
暗い環境では色素が十分に作られず、色が抜けていってしまうのです。
特に若い個体は体色が変わりやすく、成長過程で赤から白へ、あるいは白から赤へと変化することもあります。
これを「色変わり」と呼び、金魚の魅力のひとつでもあります。
きれいな発色を保つには、直射日光を避けつつ、適度に明るい場所で飼育することが大切です。
日本人にとって、金魚はお祭りや家庭の水槽などでよく見るおなじみの魚です。
金魚をペットとして飼育する習慣はいつ頃生まれたのでしょうか?
金魚の歴史を見ていきましょう。
参考:金魚の想い出|和広真
参考:金魚の歴史!起源から品種改良と輸入・輸出などについてをご紹介!|東京アクアガーデン
参考:金魚の歴史|大和郡山市
参考:金魚の養殖……日本の三大産地はどこ?|all about
参考:「金魚」の名前に隠された、豊かさの秘密。 | Jun*Juane – Two People, One Artist
金魚の歴史は今から約2000年前。
中国南部地方で、野生のフナの中に赤や黄色の色を持ったものが発見されたのが始まりです。
色変わりした魚は古くから宮廷や寺院で保護され、観賞魚として大切に飼育されました。
時代を経て金魚の飼育は本格化し、14〜16世紀ごろには陶製の大鉢や壺などを用いた盆養と称する飼育が盛んになりました。
品種改良も進み、華やかな色や形をもつ金魚が次々と生み出されていったのです。
中国文化において、金魚は幸運や繁栄をもたらすとされる「縁起物」の一つに数えられています。
金魚が象徴するものは、「富と繁栄」「幸福と長寿」などさまざま。
金魚の発音が「お金が余る」という意味の金余や「金と玉(宝石)」と同じこともあり、現代でも多くの人々が縁起をかついで金魚を飼育しています。
金魚が日本に伝わったのは、室町時代中頃とする記録が残っています。
ただし当時は一般にまでは浸透せず、一部の貴族や富裕層が鑑賞して楽しむだけでした。
金魚の飼育と養殖が本格化して一般にまで広まったのは、江戸時代に入ってからです。
18世紀頃には一般向けの飼育書も出回るようになり、町中で金魚を売る行商も見られるようになりました。
浮世絵にも金魚を楽しむ庶民の姿が多く描かれており、金魚は夏の風物詩の1つとなったのです。
ちなみに、日本三大金魚産地は、奈良県大和郡山市、愛知県弥富市、東京都江戸川区です。
全国生産量1位の大和郡山市には、江戸時代中期に金魚の養殖技術が持ち込まれ、藩士の内職として養殖が始まりました。
明治時代には、全国の金魚の約6割が大和郡山市で育成されたものだったそうです。
日本観賞魚振興事業協同組合が公式認定する金魚品種は、34種類あります。
その中から、代表的なものを紹介します。
中国から渡来した日本最初の金魚といわれています。
体型は胴長で頭部は小さく、フナに似た形状です。
赤と白の更紗模様のものがあり、金魚すくいで見かけることも多いでしょう。
中国から琉球(沖縄)を経て渡来したため、この名がついたといわれています。
体長は比較的短く、体高はやや高め。
長く伸びた尾びれが美しく、横からのシルエットが魅力的です。
頭部に大きな肉瘤(にくりゅう)が発達している金魚です。
ルーツは中国ですが、江戸時代は珍しい渡来品を「オランダ物」と呼ぶ習慣があったため、このような名で呼ばれるようになりました。
非常に華やかで、高級感のある品種です。
和金からさまざまな改良を経て作られた、日本独自で開発された品種です。
「金魚の王様」と呼ばれる高級品種で人気が高く、全国に愛好家を持ちます。
上から見た姿が特に美しいといわれており、品評会も盛んです。
中国原産の「パールスケール」という品種から改良された金魚です。
半球状に盛り上がった「パール鱗」と、ピンポン玉のような愛らしい体つきが魅力です。
琉金の突然変異といわれており、目が大きく飛び出した外見が特徴です。
色は赤や黒、更紗(複数色)などさまざまあり、金魚すくいでもよく見られます。
※画像は黒江戸錦です。
「蘭鋳」と「東錦(アズマニシキ)」の交配によって生み出された金魚です。
体型は蘭鋳、体色は東錦から受け継いでおり、赤・白・紺色のモザイク透明鱗(キャリコ模様)が複雑で繊細な模様を描きます。
希少性が高く、愛好家から人気です。
両目の下の発達した袋が特徴の、中国原産種です。
水泡の中はリンパ液で満たされており、泳ぐときは袋が揺れてかわいらしいと人気。
水泡は破れるともとに戻らないため、飼育には配慮が必要です。